2017年08月11日

過去からの補遺16



記事の重複部分を削除しました。失礼しました。


2012/08/04

中島義道が、想起の主体が私だ、と言っているらしい。(T氏の紹介)
主体を私の前に使うと、同語反復や、結論を証明内に使うことになる惧れがあるので、まずいと思う。また、想起は、私のいうところの、内容としての私、であり、実は、真の私、形式としての私ではないと、私は考える。様々な連想の波の間に間に生きている私は、それらテキストの結節点であるにすぎない。だが、私と死との関係をマインドマップでちょうど書いていたときでもあり、また、タイムマシーンのパラドックスを書いて出したばかりでもあるので、T氏の話は、衝撃的だった。中島の本(別の著作は数冊読んでいる)は、存在は知っていたが、こんな事が書いてあるとは知らなかった。死が熟睡であるとしても、想起できないことが、両者の決定的な違いで、そのせいで、死を対象化できないと、つい昨日考えていたので、この本は、また、この本を取上げたT氏は、よそ事とか他人とか、思えないのである。

2012/08/05

生命の目的は生きのびることである。では、なぜそれを目的とするのか。生命の始原を考えてみると、ある仮説が可能だ。
生命が出現したとき、生命は孤独だった。自らだけが滅び、周囲の圧倒的な数の存在物は無機物の持つ永続性を備えていたからだ。生きのびるとは、自らを無機物化、物質化しようという有機体の切ない望みである。
生存=物質化への欲望。ところが、物質化への欲望は、死への欲望と言い換えられうる。奇怪なことに、生存=死への欲望、という矛盾が出てしまう。

個々の生命体の最古の記憶は、生命は唯ひとつであったということだ。個体は生きのびるための戦略であるのであって、この戦略を目的と勘違いしてはならない。種のための個体の犠牲(この説は、正→誤→部分的に正と、変遷をたどってきた)に類比的な生のための個体の犠牲を正当化しているのではない。生きのびるためにこそ個体化したのだから、どんな意味であれ犠牲はありえないだろう。

2012/08/15

紋切り型、決まり文句、つまりは、言語の貧困だ、などと、傲慢に批難するものの足下を見よ! おのれの足下を見よ!

高度の文明は、ない。そこそこの文明はあるが。前者があるとしたら、はるか昔にそれとわれわれとの接触があっただろう。
ひとつ、言い換えてもいいか。
ない、ではなく、滅びた、と。
そのレベルに至る前に、滅びた疑いが濃い。文明の宿命的な外向性が、ここまで届いていないということは、外に延びる過程で滅びた可能性がある。文明の運命としての滅び、文明=破滅、が、宇宙全体にはびこっている!
われわれが孤立しているという、厳然たる事実を、なぜ、深刻な問題として、提起しないのだろうか。

2012/09/18

自然界に、二回微分を超える現象はない。一、または、二回微分すると、定数になるか、元に戻るか(元の二乗も含めて!)だ。

生まれてしまったら最後だ。殺してはならない。

2012/09/23

井筒俊彦の解釈による真如、彼によるとほぼ同一観念であるプロティノスの一者、は、ビッグバン以前の何者かのモノに対応するだろう。それは、静止しており、無構造である。そのモノに対するイメージは、物体、物質、エネルギー塊等々、イメージは如何様にも持ててしまうが、最も近い類比は、弾性体及び波動が凝集したものだ。空間もまたそれに含まれている。時間と重力は、炸裂後に、加速膨張と振動に伴って生じた。そのモノは、静止を堪えきれず、炸裂し、動き始める。炸裂直後、親蟷螂と同型で小型の蟷螂の子が多数散るように、何者かと同型(構造が無い構造が同型!)で小型のモノが、無数に散らばった。
そのモノ以前は、そのモノを終点(焦点)にして、世界を無に化す引き戻り、引き波があった。

永遠に壊れない石が静止しているのをじっと見ていても時間は経っていくじゃない?
あっはっはは。見ているお前自身の時間が経っていくから、相対的に、石が時間の経過の中にあると思ってしまうだけだよ。観測者のジレンマからなかなか抜け出せないのは同情するがね。しかし、ふがいない。まだ、そこら辺の感覚が、できてないのか? タダヨシ。
成長過程があるでしょ、

個別化は、生命の戦略としては成功した。人類までにも、進化したのがその圧倒的な証拠である。しかし、自己を生んでしまった。


振り子、完全弾性衝突するボールと床等々、時間反転しても区別できない(理想的)現象はいくらでもある。拡散があってこそ時間が生まれる。さて、短い繰り返しを、反転しても認識不可能な時間の経過を許容する現象に時間があるといっていいのか。むしろ、その動作によって時間が回帰しているのではないか。さらに、極端に思考してみよう。円環をなすその動作が、頻繁に繰り返し、距離を入れて、円環の半径を決めて、それを縮めていくと、元に戻る時間が短くなり、最終的には、停止する。いわゆる静止ではない。動的静止。

質問の二つの種類
群論の定義にまでさかのぼって証明するという一点への解明。一方、一質問が、質問の十掛けを沸出する発散。
この差は、質問を投げかける対象によって、二分されるのか? 対象の、帰着性質と発散性質は、われわれのあずかり知れない与件か? あるいは、われわれの限界を端的に表しているのか。

2012/10/24

中国でも夏休みはあるのだろう、私が釣りをしていると、小学生ぐらいの子供たちが十人以上、坂の上に座り込んで、話しかけてくる。明朗快活、元気溌剌。私が、わざと、豊臣、などとふざけると、わーっと逃げる。しかし、すぐによってきて、質問をする。通じないときが、面白かった。こちらは、感じを思い浮かべるが、対応しない。地面に絵を描きあった。なあーんだ、それかあ!
私は、中国の子供たちとの多くの接触で、不愉快なことは一度も経験しなかった。中国以外の国では、それが多かったと、不愉快を今でも記憶するほどに多かったと、言っているのではないけれど。


posted by ドリフターズ at 02:06| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。